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私の自己紹介

初めまして
ぱぱだんごと申します。

この度はプロフィールを拝見いただきましてありがとうございます。

私の自己紹介を簡単にさせて頂ければと思います。

自己紹介

年齢:30際後半
職業:大手人材派遣会社にてコーディネーター&転職サポート業務全般
役職:支店長
家族構成:嫁と子供2人
住まい:10年前に一軒家を購入

中学高校時代

中学高校時代はいじめられていました。ひとりぼっちでした。

学校に行ったら、靴がない。同級生にも先輩にも目をつけられ、放課後は何回も呼び出し。
なんでいじめられるんだろう。怖い。そんな青春時代を過ごしました。

次第にリアルからネットに依存するようになり、学校よりもネットの方が居心地がよくなって言ったんです。

いわゆる引きこもりに近い生活を送っていました。

親は教授、兄はエリート高校在籍と、優秀一家に産まれた落ちこぼれ。こんな私に存在価値などないと考えていました。
次第に行為はエスカレートし、匿名掲示板で人を中傷するようになっていったことを覚えています。

社会人時代

1社目:エンジニア

人と関わりたくない。その一心で、エンジニア(車の設計開発)に務めました。

しかし、社会は甘くなく、私の想像していたものとは全く違ったのです。

残業時間:100時間/月
通勤時間:1時間半/片道

朝は5:00に起きて帰ってくる時には日が変わっていることは日常茶飯事でした。

そしてコミュニケーションが苦手な私は、仕事の分からないことを聞けずに、仕事が溜まっていく一方でした。

2年間務めていく中で、「もう生きていく必要なんてない」こう思うようになっていった。

心身共にボロボロになり、逃げるように、仕事を辞めました。もちろん家族からは猛反対。もっと頑張れ!石の上にも3年!

当時の私の心には響きませんでした。そんな余裕も当然ありません。

ハンター時代

退職後、私は職業「ハンター」となり、モンスターハンターの住人となりました。

ゲームの腕はなかなかのもので、職業ハンターが、私の天職ではないかと感じていたほどです。

しかし、お金が稼げません。

仕事しないと。

そして半年のハンター期間を終え、次の仕事に身を乗り出しました。

2社目:派遣社員時代

自分には何一つスキルが無い。存在価値もない。そう思いながら見ていたタウンワークに「未経験歓迎」の文字が。

取りあえず動かないと生活ができなかったため、すがるような思いで面接に行きました。

結果合格。

仕事はインターネット回線の販売業務でした。

当時の雇用形態は「派遣社員」そして、担当のコーディネーターが、本気で私と向き合ってくれる。

こんなに人思いの素晴らしい会社があったんだ。

そこから私の心境が変化していきました。

「こんなコーディネーターになりたい」「私と同じ境遇にたっている人を支えたい」ここでコーディネーターになりたいという動機が芽生えました。

日々死にものぐるいで仕事をしていたことを覚えています。当時は目指すべきものがあり、本当に仕事が楽しかったです。

コーディネーター時代

派遣社員から社内勤務(営業やコーディネーター)になるためには、面接が必要です。

1回目、2回目と見事に落ちました。

それでも諦めず、社内面接3回目の結果「合格

ようやく手に入れたコーディネーター。そしてやってきたコーディネーター時代。

理想とは違い、現実はそんなうまくいくわけもなく。毎日落ち込む日々でしたよ。。。

私を担当してくれたコーディネーターも、辛さを隠しながら仕事をしていたのかな。

私だけではなく、みんな辛かったんだと思ってから、心の中でストンと何かが腑に落ちた感じがありました。

何があったのかは省略しますが、そこからの私の仕事の向き合い方、成果は急激にあがっていきました。

どのような成果、実績かを簡単に伝えます。

コーディネーター時代の実績
  • 全国のコーディネーター約200名の中で、年間MVPを2回連続銀賞を獲得(1位ではなく2位)
  • お取引先クライアント様からの満足度を「4.8点/5点中」を維持している
  • 自拠点だけではなく、エリア4拠点の新人コーディネーターの育成責任者を任されている
  • 会社のコーディネーター業務の全国水準の【型】のモデルを担当している

今は私自身、過去の経験から、「人は必ず変わることができる」と信じています。

そして辛さを抱えた派遣社員が大好きです。同じ境遇を感じるからです。

だからこそ、派遣社員と「一緒に壁を乗り越える」パートナーでいたいと思い続けています。

そんな、ぱぱだんごをよろしくお願いします。